始めはやる気のなかった葬儀の仕事

葬儀の仕事を志して早20年近くなりますが、始めは葬儀という

仕事をやる気はなかったのです。

以前、インタビューを受けた記事がそのあたりことを分かりやすく

まとめてありますので、引用します。


■卒業して、就職活動はしたんですか?

●葬儀屋はやる気なかったんです・・・って言ったら怒られるけど、親父には、やる気がないのに継いでほしくないって言われてましたし、やだとは思わなかったけど、自分の人生じゃないですか、だから好きなことやりたいって・・・青臭かったんです。

■好きなことというと?

●電車が好きだったので、鉄道関係の会社も受けました。
名鉄です。見事に落ちましたけど(笑)。
何社か内定をいただいてたんですけど、中でも行きたかったのは、当時の日本道路公団。
なぜか最終までいきまして、ほぼ内定というところまでいったんですが、ちょっととある事件で、不採用になっちゃったんです。

■とある事件とは?

●僕長男坊じゃないですか。で、会社はその頃もうそこそこ大きくなっていて、身辺調査でそれがバレちゃったんですね。
近所の人に、この人どうだと聴くんです。
聴かれた中の一人にうちの母がいて、ホントのことしゃべっちゃった。
「長男さんだから、ゆくゆくは会社を?」と聴かれて、「そうです」と言っちゃったんです。
でまあ、ギリギリのところで落ちちゃいまして。

■お母さんの一言がなければ人生また変わっていたかもしれませんね。

●そうですね。あれ受かってたら僕は一生葬儀屋をやってないと思いますし、今頃サラリーマンですね。

■落ちちゃって、その後どうされましたか?

●もう、バカバカしくなって就職活動はやめて(笑)、どうしようかと真剣に考えてたときに、父親の人脈を垣間見る機会がいろいろあって、すごいな、と。
サラリーマンだったら絶対にない人脈で、これを継いだら人の役に立てるかもしれない、やるしかないな、と思った。
ころっと変わっちゃたんです。
で、「オレ葬儀屋やるわ」と親父に言いました。
そうしたら、急遽修行先を見つけてきてくれました。

■名古屋の葬儀屋さんで、修行はどのくらいされたんですか?

●3年間ですね。

■3年間で終了ということで、いろいろやらせてもらったんでしょうか?

●いろいろというか、がむしゃらに現場でした。
当時はなんでこんなに大変なんだーと思ってましたが、今思えば、現場を徹底的に知らなきゃ経営者にはなれませんから、よかったと思います。

■病院へご遺体をお迎えにいくところから?

●そう、病院付属の仕事もありましたね。
大きい病院だと1日に何回も亡くなるので、病院にこもりきりという日もありました。
白衣を着て、病室から霊安室への搬送だけ何回も、という仕事もやりました。

■もちろん初めての経験なわけで、いたたまれなくていやだとか、そういうことはなかったですか?

●確かに、初めは怖かったですよ。
でも、仕事だと割り切っていましたので、いやだとは思いませんでした。
いろんなご遺体を扱っていましたので、それこそ もつなんかは食べられませんでした。
100人いれば、100とおりの死に方があって、人の最期って、その人の性格が出ますね。
お顔でどういう死を迎えたかがわかります。
どういった病気で、ということまで聞かなくてもわかります。
どの部分が悪かったかも、だいたいわかります。
また、殺されてしまった人は、殺されてしまった人の顔をしていますし、自殺の人は、自殺した人の顔をしています。

■葬儀が終了するまで、いろんなドラマがあるんでしょうね。

●それはもう、日々ドラマです。
お客様の秘密にふれることですので、語れませんが、いろいろあります。
家族が仲いいとか悪いとか、女性のパワーが強いとか、おばあちゃんがすべての実権を握っているとか・・・。
葬儀屋くらいですよね、お客様のご自宅へお伺いして、台所まで入っちゃうのは。





やる気のなかった仕事でも、ある日を突然に何か感じその世界に入っていく・・・

私自身もそんなことの体験者だったのです。

ただ、振り返ってみるとそれは偶然ではない気がします。

子供の頃から父親に帝王学を知らず知らずの間に叩きこまれていたいたと

言ったほうが正しい表現だと思います。

私の経験から言うと帝王学は生まれた時からスタートしているのです。



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